2007年8月6日月曜日

セポン出張

7月31日から8月3日まで地方に出張に行ってきた。行先はベトナム国境に近いサバンナケット県セポン郡である。目的は、保健衛生改善の普及方法を村落の女性組合と打ち合わせるためであった。会議には数村落の女性組合の構成員だけではなく通称「ナイバン」と呼ばれる村長も数人出席した。

ビエンチャンからセポンまでは車で移動したのであるが、道路は良く整備されていた。正確な距離は分らないが、朝8時にビエンチャンを出発し、午後4時過ぎにセポンに到着した。途中、食事のために2度程休憩をとったが、走行速度は時速100km程であったので、約600kmの道のりであったと拙者は推測する。

移動中に気がついたことは、本当にラオスは人口密度が低く、道路沿いの景色を見ていても、森と田園以外に殆ど何もないのである。たまに数件の集落を目にしたが、質素な高床式の住居で、壁は木板一枚で屋根はトタンか何かの葉で葺いているのが一般的である。ひどい時は壁がなく、ビニールシートで目隠しをしているという具合である。しかし、本当に極稀に超豪邸も目にした。パレスと言っても過言でないほどのスーパー超ゴージャス豪邸である。ラオスで一体どうしたらそんなに金が儲かるのか拙者も知りたい限りである。

昼食の際にはカムアンという町に寄った。ベトナム移民者が多数を占めている町らしいが、一応町並みはフレンチ・コロニアル・スタイルを残している。しかし、見たところ小さい町でこれといって珍しい物は目に入らなかった。

セポンにもこれといって特別変わったものはなかったが、不発弾がごろごろ転がっているのが目についた。この不発弾は150cm程もあるデカイものだ。ベトナム戦争中に米軍がばら撒いたモノに違いない。何ていったって、当時300万人しかいなかったラオスに300万トンのミサイルを投下したらしいのだから、不発弾だっていっぱい残っていて当然だ。拙者の泊ったホテルでは外壁に不発弾を使っていた。金属製だから丈夫そうではあった。(注:ラオスでは、不発弾を金属材料として売るために多くの人が地雷や不発弾を処理中に事故によって命を落としている。)

出張2日目の晩、近所の家で羊を1頭料理するということで村長や女性組合員達と一緒にお呼ばれした。ただし、羊の代金は拙者の同僚と拙者、それから女性組合の本部スタッフで支払った。羊は目の前で首を切って殺された。赤い血がゆっくり地面を染めた。羊は即死することもなくしばらく生きていた。これらの作業は全て男性が行った。女性は全員家の中でおしゃべりをしながら他の料理の準備をしていたようだ。男性陣は女性陣に椅子を用意して勧めたりもしていたが、女性陣が同席することは一晩中なかった。男性陣は外で火を熾したり、テーブルを囲んで酒を飲んだりしながら、少しずつ羊を調理して食べた。家の中にいた女性が羊を一部調理していたのか、また実際に羊の肉を食べたのかは、外で強い酒を飲まされていた拙者には分らない。

この酒なのであるが、もち米が原料のようで度数は40%にも及ぶ。薬草が入ったペットボトルにお酒は入れてあった。この家にはエスプレッソ・カップがたまたま1つあったため、ペットボトルからそのカップにお酒を注いで、男たちで回し飲みをした。もちろんショットである。拙者は6杯くらい飲んだだろうか。この他、ビールも回しのみした。

肝心の羊であるが、まず生の睾丸が目の前で輪切りにされて皿に盛られた。男達は刺身を食べるように何かのタレに漬けて食べた。拙者は遠慮した。その後、レバーと皮がまた生で皿に盛られてきた。拙者は再び遠慮した。このように、ともかくラオスでは生モノの料理が多いが、強制はされないから助かっている。(先日、拙者の家にスズメバチが巣を作った際には、門番の兄ちゃんが簡単に巣を除去し、中にいた幼虫をおいしそうに生きたまま食べていた。この時も拙者に勧めてきたが、拙者は遠慮しておいた。健康には良さそうだった。これまで、ラオスで拙者は川エビを生きたまま食っただけである。)

この後、やっと肉が焼かれて出てきた。しかし腸も一緒に焼かれて出てきた。肉は素直においしかった。腸はにがかった。キャベツや他の生の草みたいのと一緒に肉は食べた。もちろん、主食のもち米も食べた。すべて素手で食べたが、敢えてその方が衛生的かもしれないと思ったりもした。野原で立ちションする方が汚い駅の公衆トイレで小便するより衛生的と感じるのとちょっと似ている。

翌日の会議には、村長は1時間以上遅れて登場した。まだ酔っ払っているようだった。大きな声で「サバイディー!」(こんにちは)と言って入ってきて、着席するや否や早速挙手し、何やら質問をしはじめた。他の出席者は皆笑いをこらえきれず噴き出していた。そんな感じで、会議は終了した。拙者は言葉が通じないので、ただ観察しているだけであった。

この地域の住民は少数民族が殆どであり、クメール語系の言葉を母語としているらしい。文字は存在しないらしい。しかし、会議に出席した人の多くはラオス語もベトナム語もできるらしい。しかし、皆非常に背が低く(平均で150cm以下ではないだろうか。女性では130cmくらいの人も何人かいた)痩せており、栄養が不足しているのではないかと拙者には見えた。

今回の出張では食事がちょっとばかしつらかった。いつも他の連中と同じ皿から直接食事をするのである。スープも1つのお椀から皆それぞれ直接スプーンで食べた。ご飯も前の客が残していったご飯に盛り足されたご飯を食べなくてはいけなかった。現に盛り足しているところを拙者は目撃した。生の草が多種皿にのって出てくるのであるが、これも多分、前の客が残したモノに盛り足されて出てきたのではないかと拙者は推測する。一応、拙者は予防摂取をしているが、肝炎とかってこうして移るのだろうなと思った。