2007年9月3日月曜日

ギリシア及びブルガリア旅行

転職早々、仕事でろくな成果も上げてはいないのは重々承知であったが、7日半の有給を貰い、ずっと先送りになっていたハネムーンと友人の結婚式出席を兼ねて8月9日から21日にかけてギリシアとブルガリアに旅行してきた。

拙者は小学生の頃にカレンダーでミコノス島の写真を見て以来、新婚旅行はギリシアと決めていた。だから、過去にギリシア付近に旅行する機会があっても、あえてギリシアだけは避けてきた。去年の11月に結婚した時も、新婚旅行はギリシアが乾季になるのを待ってからと言って、頑なに「新婚旅行」という位置づけの旅行を避けてきた。そういう訳で、今回の旅行は拙者にとって非常に特別なものであった。

旅行の最初の3日間はアテネで古代ギリシア時代の遺跡を中心に観光した。アクロポリスのパルテノン、古代アゴラ、ゼウスの神殿、初回近代オリンピック開催地跡、国立考古学博物館を歩いて回った。炎天下の中、毎日かなり歩いたので、足がすごく疲れたのが相当記憶に残っている。パルテノンは補強工事で近くから見ると建設機材が邪魔であったのがちょと残念であった。しかし、やはりパルテノンには1つも直線が使われていないという事実は確認できることができた。遠くから見た時に、柱や土台が直線に見えるよう、柱の中腹を膨らませたり、角の柱を他の柱より太くしたり、土台の中心を盛り上がらせたりする工夫がされているのである。そう思って近くから見ると、やはり直線ではないように見えるのである。

ちなみに、アクロポリスから離れたプニクスの丘からのアクロポリスの眺めは最高で、拙者はそこに時間をずらして2日連続で足を運んだ。

パルテノンより壮大なのが、ゼウスの神殿である。写真の通り、マジでデカイ。一本、柱が倒れたままになっているところが、またその壮大さを強調している。

ともかく、紀元前15世紀頃にここには相当の文明があったのは十分過ぎるくらい思い知らされた。全盛期にはそれは華やかだったのだろう。容易に想像がつく。そして、考古学博物間では紀元前6800年頃の遺品も展示されているのであるが、そのモダンなデザインには驚かされた。しかし、そんなせいなのかは良く分からないが、全般的にアテネは観光地化され過ぎており、商人は全く愛想がなく、態度が非常に大柄で、物価も以上に高く、土産品の値段もあり得ないほど吹っ掛けられており、腹が立ったのは拙者の身分のためであったのかも知れない。

歩きまくって疲れたアテネの滞在後はエーゲ海でゆっくり体を休めた。フェリーで約5時間掛けてミコノス島まで行った。途中でシロス島とティノス島に寄港した。ティノス島はそれなりに美しかったが、やはりミコノス島程ではなかった。途中で帆船を何艘か見た。絵になった。ミコノス島は本当におとぎ話に出てくるような島で、全ての建物が真っ白で、雨戸も青に統一されている。ちなみにガス・タンクも青に統一されていた。拙者も今回の旅行のテーマ・カラーは予め白と決めていたので、我ながら風景に良く溶け込んだのではないかと自画自賛したのは書かなくてもいいかもしれない。また、ミコノス島はゲイの集まる島としても知られており、普通のカップルよりもゲイのカップルの方が多く、拙者も一人で歩くと自意識過剰のせいか、熱い視線が気になり多少緊張した。いずれにせよ、ミコノス島は美しい島で、20年来の拙者の期待を裏切ることはなかった。
 最後に、ブルガリアではコプリフシュティッツァという片田舎の小さな町の教会で大学院の時の友人の結婚式に出席した。オーソドックス教会の結婚式なので、結婚指輪は牧師が夫婦それぞれの右薬指に通した。左手ではないところがカトリックやプロテスタントとの大きな違いだ。町は石畳の本当に古い街で、いまだに馬車が薪を積んで走っていた。町そのものが博物館のようであった。結婚式もその後の晩餐会も本当に雰囲気があって良かった。晩餐会は明け方までブルガリアの超強いハラキとかいうブランデーみたいな酒を飲み続けながら、踊りとおして続いた。翌日は相当疲れた。
 それなりに成長しつつも変わらない大学院時代の旧友との6年振りの再会も面白かった。